終生に及んで致し方ない防衛線

「ノリ」が苦手である。

周知の通り、常に境界線の外側から観察してしまう性格なのだ。ガヤガヤしている当の内輪にいても、常に心は外界に逃げ出してしまう。「醒めつつ淫すべし」とはよく言われるが、頭では分かっていても「淫する」ところまでなかなか身体が動いてはくれない。そりゃあ恋なんて土台無理な話だ。大会打ち上げのカラオケで同期女子かなんかが「Maybe Maybe 好きなのかもしれない」などと歌っていたが、そこまで勿体ぶった文字数を使わずとも、漢文なら「蓋好汝」とかで済む話だ。と、そんなことを考えている奴のもとに春なんて来るはずがないのである。

そして困ったことに、いつ頃からこの癖があるのか定かではない。覚えている限り最も古い幼稚園の記憶でさえ既に輪の外側に立ち尽くしていたのだ。おそらく体外受精ではないと思うが、父親曰く川を流れているところを拾ってあげたらしいので、完全に否定することが出来ないのも残念である。

 

しかしそうやって外部の外部のそのまた外部……と走り続けてしまっては、今頃は仙人になって山の上で隠遁生活を営んでいるかもしくは李徴と同じく虎と化しているかのどちらかに違いないが、残念なことに人のままである。実際には知らず知らずのうちに内側向きの矢印が存在していて、うまくバランスを取っているのだと思う。より正確には、襞のように、外部の外部に逃げたはずがいつの間にか内部に取り込まれていることがあるのだ。

 


そして自分にとって、アルコールは内向きの流れを作り出す触媒なのではないかと考えるようになった。時折襲ってくる「何か世界とずれている感覚」がシミのように取れない時、缶チューハイを片手に深夜の街中を歩き回るようにしている。それは多くの人が自棄酒を飲むのと逆向きのベクトルで、きっと無に抗うための装具なのだ。

 


要約すると、誘ってください、ということである。