二十代 恥に気づいた人

自分の年齢が分からなくなることがある。確か21歳だった気がするんだけどもうそんなに年取ったんだっけ、と思うこともあれば、本当は22歳の誕生日を迎えていたような気もしてくる。こればかりは誰かに聞いて教えてもらうものでもないし、仮に聞いたところで小バカにされることは必至である。かくして、書類の年齢欄を埋める際には必ず自分の年齢を指折り数える男子大学生(21)が誕生するのである。

 

1週間ほど前、あまりの暑さに耐えかねて駅の待合室で涼んでいた時の話だ。携帯を見ていると、待合室に入ってくる老夫婦の会話が聞こえてきた。

「お父さん、どうやって行くんですか?」

「電車で行くよ」

まあそれはそうだろう、と思った。切符か何かで駅の改札を通ってきたんじゃないのか。会話は続く。

「どこに行くんですか?」

「ああ、渋谷だよ」

「まあ、渋谷」

どことなく恥ずかしそうなお婆さんが、待合室にいた若い女性に話し掛けた。

「こんな80歳のお婆さんが、渋谷なんかに行って大丈夫かしら。可笑しくない?」

「全然可笑しくないですよ」

「お父さん、可笑しくないって」「ああ、良かったね」何でもない会話が何ともなく終わり、待合室に平穏が訪れたかと思われた次の瞬間。

「渋谷にはどうやって行くんですか?」

あー、と胸が声を上げた。入院する前の祖母の様子が思い浮かぶ。祖母も食後の薬を頻繁に飲み忘れたり、1時間前に食事をしたことすら忘れてしまっていたりしたっけ。付き添っているお父さんの方も大変なんだろうなあなどと思っていると、お婆さんの会話の矛先はまた女性に向いていた。

「80歳なのに、渋谷なんてねえ。こんな、80歳の、お婆さんがねえ」

下手な返答が許されない女性は困りきった表情を見せつつも、「そんなことないですよ」と優しい声で取り繕っていた。それでもお婆さんは追い討ちをかける。「80歳の、お婆、さんだからねえ」

物忘れが激しくなると、80歳という事実がアイデンティティとなってしまうのだろう。いや、症状の進行度合いから察しても本当は80歳なんかじゃないはずで、ゆうに82歳は超えているに違いない。とすれば、お婆さんはハリボテの真実に縋って生きていることになる。水面に浮かぶ幻影に耽溺したのがナルシスなら、オバシスとでも名付けようか。いや、むしろナルバアでも良いかもしれないと考えながら、やってきた電車に乗り込んだ。ナルバアとは違う車両に乗ったため、その後のことは分からない。

 

大学を卒業して××歳、院進するか就職するかして××歳、適当な役職に就くのが××歳……という将来を考えるだけで、段々と気が滅入っていくのを感じる。21ですら怪しいのに、4倍も生きてしまってはどれだけの誤差を出してしまうか分かったものではない。その頃には自分がどう生きていて、何を信じているかさえ全く見当がつかない。過去の自分を信じられないという持ち前の性格上、多くの人間がそうしているように、やはり誰かの支えが必要なのだろうか。

 

母親はよく「あんたには稼いでもらって、養って貰わないと」と息子に言っている。自分の歳が分からなくなるような息子のことは、指折り勘定に入れて欲しくないものである。