幼少年の僕達に 指差して笑われた

一人称に慣れない。

自分のことを「私」と指すのはなんとなく気恥ずかしさがあるし、「俺」と呼ぶのも変にカッコつけたような感じがある。講義で自分の意見を話す際には「僕」という人称を使っている気がするが、それもいまいち定かではない。どっかのギャルみたく自らを名前で呼ぶのはまっぴらである。はっと気づいた時には、自分のことを「自分」と仮置きし、のらりくらりと一人称を回避し続ける透明人間が生まれてしまっている。公園を歩く親子連れの子供が「僕ね、さっききれいな宝石拾った!」と何でもないような言葉を叫ぶ時、前面に押し出されているのは「宝石」よりも「僕」だという美しさに気付いた透明人間は、しゅるしゅると音を立ててしぼんでいく他ないのである。

 

言葉自体には特定の視点は刻まれておらず、それ故に言葉は普遍的なものでもあり、かつ同時に主観的な事象を述べることも出来る。もはや「僕」という一人称を使えなくなった自分は、常に誰かの陰に隠れて話しているのかもしれない。そういう性格なのは百も承知。

 

小学校入学前か入学して間もない頃だったかと思う。お気に入りの3畳ほどの自室でニュース番組を見ていた父親は、その日も息子に生きる上での人生哲学を与えたのであるが、その時の雰囲気は妙に普段と違ったのだ。ある宗教団体の報道を横目に「お前、」と父親は言った。「若いうちは宗教には入んなよ。爺さんになって頼るものが欲しくなったら、その時は入ってもいい。ただそれまでは絶対入ったらいかん」「うん」とか何とか答えた自分は早々に部屋を出て、母親のいるリビングに向かったのだと思う。それは「『俺』という一人称を使っていいのは50歳からぞ」とか「世の中に女がいる限り男は女を狙わないかん」とかいう普段の教訓めいた台詞とはまた違った感覚を纏っていた。それ以来宗教報道を見ても父親の言葉がまとわりつくようになり、いまいち彼らに悪いイメージを持てなくなってしまった。「頼るものが欲しくなったら、その時は入ってもいい。」

 

それから20年弱が経とうとしている。今や息子を失った実家は家庭内別居のような状態になり、リビングで韓ドラを見る母親と、今も3畳の座敷で酒を飲みながらバラエティ番組を見ているであろう父親の間に会話は全くない。知る限りの数少ない例外は、父親が1年前にガンの肝臓転移で入院して治療を受け、退院した翌日にビールを飲んで母親に怒られたという話だけである。今年の1月に帰省した際も、「肝臓に影響はないらしいぞ」と無根拠を振りかざしながら、日本酒やビールやらを自分も飲みつつ勧めてくる父親が座っていた。いやどうしようもないアホや、と思いつつも完全に軽蔑出来ない自分がそこにいた。