自分を否定したとして それすら自分の声だ—後編

 

美容室の安楽椅子ほど悪趣味でバカげた祭壇はない。「スタイリングチェア」とかいう大袈裟なシートに座らされ、目の前には大きな鏡が見たくもない自分の顔を大袈裟に映し出している。ブースの隅にはありがちな緑の観葉植物が置かれていて、側のラックにはよく分からないファッション雑誌が無造作に重ねられている。読んでも意味が分からないという意味では、魔導書と変わらないのかもしれない。

しかしあの祭壇が最悪な点は別にある。すなわち、パーソナルスペースが無効化される、ということだ。常に喋り掛けられ、なおかつ触れられ続けるということ。目をつぶっていれば話しかけられることはないけれど、それでも常に身体の一部分を相手に曝け出さなければならない。安楽椅子とは名ばかりで、触れられるのが大の苦手な自分にとって、あの椅子は中世の拷問器具のようにも思えてくる。

 

なんであれほど「触れられる」のが苦手なのかは自分でもよく分かっていない。記憶を遡っても触覚に関するトラウマらしき思い出らしきものは思い出せないけれど、そういえば母親からこんな話を聞いたことがある。

2〜3歳くらいの時、家では大きな犬を2匹飼っていた。「リュウ」と名付けられた北海道犬は比較的温和な性格だったのに対し、シベリアンハスキーの「ロッキー」は見た目も性格もかなり攻撃的で、父親からは「あいつには近づくな」と常に釘を刺されていた。けれども禁忌に触れるのが子どもの性で、友達の家に遊びに行くような感覚でロッキーに近付いたのだと思う。もちろん一人っ子で3歳のぼくに、友達なんていた筈がないのだが。

記憶がないぼくにも、後に起こったことは想像に難くない。世の中には、努力だけでどうにもならないことも多くあるのだ。シベリアンハスキーの逆鱗に触れた自分はあっという間に転がされ、父親が気付いて家を飛び出して来るまで、冬の寒い中で前脚1つで地べたに押さえつけられて泣いていた、とのことである。男が生涯で1回きりしか使えない筈の涙チケット3枚綴りは、あっという間に使い切ってしまったらしい。そしてそれ以来長い期間、大きさに関わらず犬が怖かった。小学校の通学中に犬が散歩していると、必ず歩道の反対側に避けたものだった。

 

一口に「触れる/触れられる」のが苦手と言っても、そこには他の要因が必ず結びついている。時には視線が、時には音が、そして時には体温が。そして自分の場合は、その体温との結びつきが最も苦手なのかもしれない。あの犬のせいなのか、それとも生まれつきの末端冷え性が悪いのかはよく分からない。しかしとにかく、あの温もりが、仇となることがあるのだ。

触覚はもともと、単なる感覚の一つではなく、身体を、そして生命を存立させるための絶対的な条件と見なされていた。とすれば、触れる/触れられることを苦手とする人間は、その条件をみすみす、自らの足でゴミ箱に蹴り込んでいるのかもしれない。もしくは、あまりに厳重な金庫に保管して、誰にも明け渡さないでいるのか。その金庫をいい加減薄くしていかなければ、琴線に触れるような体験は出来ない気がしている。

 

 

来年もよろしくお願いします。