甘えんな でも甘味は好き

「甘いものが好き」という始まり方ではインスタにスイーツと自分とどちらを推したいのか分からないようなサブカルクソ女と間違われてしまうかもしれないが、甘いものが好きである。より正確には、甘いもの以外特段好きなものがないと言うべきか。好きな食べ物は?と聞かれてパッと答えることが出来ないし、好みのタイプは?というありがちな質問はなおさらである。つい先月会った高校同期女子に「別に誰とでもやっていけると思うんだけど」と伝えたところ、「女は思ってる以上に面倒臭いよ」というアドバイスを頂いた。まったく良い友達を持ったものだ。

 

嫌いなものはいくらでもある。食事は偏食、虫は苦手、夏も冬も早く終わって欲しいと願っている。歩道を横になってのろのろ歩く若者集団に行く手を阻まれた日には最悪だ。そういう日に限って、夜には何者かが押したインターホンが鳴り響く。人間の声が苦手なので、電話やインターホンは基本的に無視している。

そう、声が問題なのだ。アパートの壁は視線を消してはくれても、漏れ聞こえてくる隣人の会話や上階の足音を掻き消せやしない。突如として全方向から向かってくる声の群れに追われたとき、感覚は食品トレーに成形されスーパーで量り売りされてしまう。自分の声はなおさらで、聞きたくもないのに体の内側からガンガン響く。よって必然的に口は開かれず、誰からも好かれることがない。証明終わり。

あなたは自分のことが好きですか?当てはまる。どちらかといえば当てはまる。どちらかといえば当てはまらない。当てはまらない。この類の問題は救いきれない劣等感を救ってくれるのか、はたまた地の底から響いてくる声なのか。単振動で揺れ動く鉛筆の先は、決まって真ん中の「どちらともいえない」に減衰する。

 

テキストと甘いものは似ている。どちらも自ら叫び出すことがなく、それでいて人の心を静かにする術を知っているからだ。それらは意図的に求めようとしても探し出すことが出来ず、探そうとするとかえって逆効果となる桃源郷のようなものかもしれない。

 

ちなみに、甘くても桃は嫌いである。