ブログの書き方 ~理論編~

何でも良い。「言いたいこと」を頭に浮かべる。なんらかの社会的な主張やぼんやりしたテーマでも良いし、自分が感じている足の裏の米粒のような違和感でも良い。私はあれが好き、私はあれが嫌いといった具体的な趣味嗜好から始めるのは比較的やりやすい。もしかしたら、たった1フレーズだけが脳の襞にこびりついて離れないことだってあるかもしれない。

多くの人は、名状しがたい何らかの思想を持っている(と、ぼくは思っている)。それを出力するためには、よりミクロな、もしくはマクロな視点にレイヤーを切り替えてみるとよい。

例えばブログ開設初期作品である以下の2つの記事は、自分が抱いている違和感、(より端的にはテーマ)を頭に浮かべ、そこから具体的な経験を織り交ぜながら書いた文章である。 

(★★★☆☆)

(★★★☆☆)

 1つめの記事、『二十代 恥に気づいた人』の具体的な流れを見てみよう。1文目はキャッチ―で端的な主張、「自分の年齢が分からなくなることがある。」から始め、自分の些細なエピソードを続けた。

2段落目は、より個人的な体験として、駅の待合室で実際に出会った老夫婦のエピソードを具体的な筆致で描き出した。老夫婦の会話とそれに対する自分の感情を独特の表現(「あー、と胸が声を上げた。」など)で織り交ぜ、老婆はエピソードの最後で「オバシス」と名付けられる。想定読者がニヤッとしてくれればそれで十分だ。

3段落目以降は逆に、より巨視的な視点で問題を俯瞰する方向にシフトする。自分の年齢への違和感と「オバシス」から感じた具体的経験が一体化し、自らの将来について考えるきっかけになっている、という構成である。

 

まあ読みやすいと思う。というのは、先に「言いたいこと」を述べてしまい、後々他の説で補強をしながら最後に同様の結論を持ってくるという形は、エッセイというよりむしろ論文に近いからだ。しかしせっかくブログという媒体を用いている以上、より色んな可能性に手を出してみたくなったのである。例えば第18作目『自分を否定したとして それすら自分の声だ―後編』は美容室をこれでもかとバカにする所からスタートしており、どんな話を進めるのかと思いきや、そこから一気に「触覚が苦手」というテーマへとジャンプしている。

 (★★★★★)

 

更に挑戦的なものでは、テーマが念頭にありつつもそれを明示せず表現する場合がある。第11作目『思考を休めるな』、第13作目『僕ら全員演じていたんだ』がそれである。読んでみて好きに料理して欲しい。

 (★★★★☆)

 (★★★☆☆)

 

一方、「言いたいこと」があまりに個人的な、小さな対象であることも多い。でも、そんな些細なことだからこそ文章にしてみたいとも思う。流れ落ちる砂時計の砂からたった1粒の光る砂を見つけ出すことに似ているけれど、その砂粒を見つけられたささやかな喜びはひとしおだ。

 (★★☆☆☆)

第6作目『生涯とは長編作の映画みたいなもの』を要約すると、コンビニの女性店員が小さな袋にギチギチに商品を詰めて渡してきたのに興奮した、という最低な話である。その前後にそれっぽい思い出とそれっぽい考察をくっつけるとそれっぽい記事になるのだ。はっきり言って、別に言いたいことがあるわけではない。ただコンビニ店員への興奮をお伝えしたかった次第である。

似た記事は第8作目『終生に及んで致し方ない防衛線』だろうか。これは一見、冒頭の「『ノリ』が苦手である」というセンテンスが「言いたいこと」のように見えるが、実際はそうではない。本当に言いたかったのは2段落目、

大会打ち上げのカラオケで同期女子かなんかが「Maybe Maybe 好きなのかもしれない」などと歌っていたが、そこまで勿体ぶった文字数を使わずとも、漢文なら「蓋好汝」とかで済む話だ。

 という謎の文章に過ぎない。これに気づいていた人がいたら、即日結婚を申し込みたい。子どもは1人が良いと思ってるんだけど、どうでしょうか?

 (★★★☆☆)

 

究極的には、たった1つ2つのワードを言えればそれで良いのだ。

 (★★★☆☆)

(★★★★☆)

 

 最新作『ソーセージの神様』は、初めて書いた「妄想系」のジャンルに当たる。岸本佐知子さんの『ねにもつタイプ』に触発されて書いたものだ。みんなにとっての「神様」を教えてほしい。

 

 

一方で、中身より先に外部の構造に目が行く性分の人もいるかもしれない。つまり「言いたいこと」より「やりたいこと」が先に出てきてしまうパターン。物事を計画的に組み立てて伏線を回収したがる人間はこちらだったりもする。その意味で最も特徴的なのは、第4作目『【徹底解説】部活の夏合宿で全力で成長する方法』に違いない。よくある自己啓発系サイトにうんざりして書いたものだ。いや、もしかしたらいつまで経っても点かない部屋の電気にうんざりしたのかもしれないけれど。

(★★★☆☆)

なお今月後輩と食事に行くに当たって、「【必読!】会話が上手になるテクニック5選」みたいなサイトを熱心に読んでノートにまとめたのは一生の秘密である。

 

また意外かもしれないが、第9作目『東京 PM9:00』、第12作目『 "ジブン"と言えないままで』もまた、文体や構造から攻めたものだ。特に後者のように、何者かによるモノローグで初めから終わりまで貫き通すような文体は(当時は)挑戦的な試みだった。

(★★★★☆)

(★★★★☆) 

とはいえ、自分自身、このタイプの記事にあまり得意意識はない。でも、本当に挑戦的な試みはここにあるんじゃないだろうかと思ったりもする。

 

とにかく、「言いたいこと」を言う。「やりたいこと」をやる。それを核に、適当な連想ゲームでもやってみる。自分の過去の記憶を無理やり繋げてみる。あの人の言葉を思い出す。街中を歩きながら心の中でツッコミを入れる。そうやって、普段見えているものに違った顔が見えてくればしめたものだ。論理の欠片も存在しなくていいと思う。ただ必要なのは、このページの右上にあるボタンをタップすることだけだ。

さて、この記事で「言いたいこと」は?