今日も人生していきます


好きなものがあるって、幸せなことじゃないですか? 少なくとも生きていくレベルにおいては。けれども、小さい頃から取り立てて好きだと言えるものは多くなくて、むしろ嫌いなものの方が多かった。それも、完全な偏見で。梅干とか納豆とかは大学を卒業しようとする今もなお嫌いだけれど、生涯一度も食べたことはない。「嫌いだから嫌い」という小学生の心を持ったまま大人になったせいか、1年前に部活の先生から「好きな食べ物は?」と聞かれた時には結局答えられず、周りにいた部活同期が答えていた。個人という概念はどこまでも近代の装置なんだなあ。

基本的には興味のある本とか映画とか勉強の分野とかについては広く浅くというスタンスだし、重要そうな人生の局面に対しても軽く捉えてしまう節がある。特に高校時代は酷かったのかもしれない。2年間続けた物理はまあ得意だったけど飽きてしまって、3年の受験期になって誰にも相談せず生物選択に変えた。マーク模試のために地学を勉強して受けたら、配られるデータで一人だけ晒されたような覚えもある。遂には、英語も嫌だったから仏語での差し替え受験をやった。動機は何だろう。やっぱり刺激が必要だったのかもしれないし、それとも「成長」の物語が欲しかったのかもしれない。恥ずかしいことに、画一的な学校教育に対する反抗の旗を振りかざそうとしていたのかもしれない。けれどもその旗は、先生たちから見ればお子様ランチの国旗サイズだっただろうな。

それはともかくとして、だからだろうか、本当に好きなものに一度心を掴まれたらもうお終いで、泥沼に足が掬われた次の瞬間には自ら大の字でダイビングしてしまう習性がある。高飛び込みの種目だったら、審査員は見事な0点を付けてくれるはずだ。例えば幼稚園の頃に家族で行った近所の料亭(といっても安いところです、儲からない自営業だったからね)で食べた餅の揚げ浸しが美味しすぎて、その料理しか食べなかったことがあった。小学1年のクリスマスにもらったハリーポッターシリーズはもう7年間は読んでいないけれど、未だに細部すら思い起こすことが出来る。高校時代に触れたNeru曲に溶かされた。大学で上京して、ぶら下がるのに飽き足らず賃貸の部屋にパイプを組んだ。作るのに2万円と撤去に1万円かかったけれど、高い買い物という感じはしていない。

 

しかし不思議と、好きなものを誰かに布教するということはあまり好きではなかった。よく発される「〇〇知らないのは人生の半分損してるW」という言葉を耳にした時は、お前の人生の半分はそれかと内心毒づいていた。好きなものを伝えようとしてもその良さを上手く伝えることはあの頃の自分には(そして今も)出来そうになくって、その悲しさは次第と怒りに、そして恐怖に変わっていった。あくまで他人は他人だと分かってからは、好きなものの押し付けは一方的で身勝手な暴力だと思っていた。相手が教えてくれた「好きなもの」に賛同することは、ひどい勘違いの愛情表現として受け取られるような、すなわち相手の身体に不躾に触れるようなことなのではないかと恐れていた。その意味でSNSは最適だったけれど、あれも身を守る手段にすぎなかった。自己防衛、投資、あと海外移住、日本脱出だよね。「好きなもの」への気持ちを伝えるだけ伝えて、それが跳ね返ってくる必要がなかった。台風は強い風を引き起こすけれど、その中心にはその風は返ってこないように。

なので、自分の好きなものを相手に伝えられる人間のことをすごく羨ましく思っていたし、今でも思う。けれども昔とは少しは違っていて、目をキラキラさせながら「××の△△が良くて……」とかいう話は、それ自体を知らなくても聞くだけで面白いし(ご存知の通りゲラなので)、波長が合いそうなものであれば触れてみようと思うようになった。どう考えても、「これ美味しくない?」と話しかけてきた某部活同期に対して「で?」と返したあの頃の自分は最悪だったな。間違っても今後、こういう人間が新歓担当にならないことを祈っています。


というか、ちょっと触れただけで人間なんてそうそう変わらないんだよなあ。大塚愛が「PEACH!! ひっくり返る愛のマーク」なんて歌っていたけれど、それが許されるのならばインドネシアの国旗もひっくり返せばポーランドだし、「愛」も一文字消して二文字追加すれば「孤独」になってしまう。人間はそんな簡単な操作でやすやすと変わるものじゃなくて、北極に行こうが南極に行こうが自分は自分なんだ。パチンコを遊んだことがない人は、大当たりといえば777が揃って大量の出玉獲得というイメージを持っているかもしれないけれど実際にはそうではなくて、実は大当たりは小当たりの連続で出来ている。何も特別な操作が必要になる訳じゃなくて、ただいつもと同じように玉を打ち続けるかもしくはボタンを押し続ける作業の中で出玉が増えていくに過ぎないんだけど、それはぼくらも同じじゃないだろうか。同じことを何度も何度も繰り返していく中でふと零れ落ちる意外なものを掬い出すことが、結局は自分を変えるための最良の方法だったりするのかもしれないと気付いたのは、この前某アニメとタイアップしたパチスロを打ちに行った際に1/32768のロングフリーズを引き当てて500ゲームのARTを獲得したあの瞬間でした。ささやかな刺激の積み重ね、それが人生なんだと思う。

 

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