曖昧な思い出と いつか見た郷愁は

 

車窓から街の風景を見て、これらを全て作るのにいくらかかるのだろうと考えることが多かった。建物一つにしても何百万だし、道路を作るにもお金がかかる。目に見えている分だけではなく、地球全体で同じようなことが起こっているのが怖かった。22を過ぎた今も、飛行機の窓から世界を見下ろす度に、同じことを思う。

 

 

父親は1人なのに対し、母親は2人いて日によって入れ替わっているのだと思っていた。顔はとても似ているけれど、優しい人と怒りっぽい人がいるのだと思っていた。少なくとも昔は、ホルモンバランスなんていう概念は知らなかった。もしかしたら本当に2人いたのかもしれないと考えることもある。

 

 

サンタ向けに枕元までの地図を手書きでしたためたことがある。朝起きると違うところに置かれていたが、親は「(書いてある道が)読めなかったんじゃない?」とのことだった。ゲームか何かをお願いしたのに届いたのは分厚い本だったので、プレゼントの割り振りは事前に確定しているものと思われる。

 

 

遠足そのものというよりも、300円という限られた金額で最高のカスタマイズされたお菓子セットを作り上げることの方が楽しみだったが、ある時からお菓子そのものを持っていかなくなったのだけれど、これが今まで続いている逆張り精神の発端だとしたらどうしよう。

 

 

女友達の家に遊びに行った時に包丁を突きつけられたことがあり、その時の感情の昂りは未だ忘れられない。