死んでたら目を覚まさないよ

 

最近スキンケアを始めた。

ニキビが気になったからとか顔を良くしたいからという訳ではなく(いや顔は良くしたいけど)、10年後とかにボロボロになってるのを少しでも防ぎたいなあ、と思ったからである。普段「25までに何もなかったらもう終わってもいい」とか公言している人間の行いとは到底思えないけれど、そういえば高校の教師が「人間は矛盾しているからこそそこに小説が生まれる」みたいなことを言っていたなあ。これに関しては『荒ぶる季節の乙女どもよ。』がとても綺麗だなあと思っているので、英語の試験を民間化するようなバカなことをするくらいなら、さっさとこのアニメを必修科目化してください。

 

自然科学においては矛盾は許され得ず、新発見によって現実は新たにアップデートされる。けれども物語の魅力は、むしろささやかな矛盾によって現実がいくつも分裂するところにこそあるのではないかと感じる。それはまるで、子どものおもちゃ箱が、夜には子どもだけの世界を作り出すように。

むしろ人間自体が矛盾を求めているところがあるかもしれないな、とも思う。先日父親の初盆を済ませてきたけれど、本来であれば輪廻転生で生まれ変わっているはずの先祖が家に帰ってくるというのはどう考えてもあり得ない。あんな人間のことだから今頃はアフリカでミーアキャットにでも生まれ変わってるかなと思うけれど、それでも今だけは家に帰ってきていると定義しているのは、残された人間の心の安寧のためだ。


最高の終わり方を考えることが最近多いけれど、残された人間が「あいつって実はあんなやつだったんだな」とその時に初めて気付く、そんな終わり方が一番愛しく美しいのではないかと思う。若い世代は「背中で語る」的な昭和的発想が嫌いらしいけれど、自分はそこに憧れがある。それも、父親の影響で「昭和!」と叫びたくなるような映画を見せられたからだろう。そもそも同年代で「男はつらいよ」とか見た人間に会ったことがない。

でもそんな終わり方を迎えるためには、そもそも残される人間が必要なんだよな。いきなり自分が交際宣言をしたとしても、それはそれで矛盾として認めて欲しいものである。