書くことの(不)可能性—あるいは、走り切った三年半の続き

 

部活の引退の日には、消える人間が後輩たちに向けてスピーチを行う時間がある。話す内容だけでなく、それを話す者の人柄まで含めて、様々な思いが胸に去来すること必至のお時間である。各々が自らの部活人生を振り返り、限られた時間と限られた言葉で何かを伝えようとする美しさが、確かにそこに存在しているように思われる。

そもそも言葉を用いるという試みの裏には、伝達し得ぬものであってもそれをなんとかして伝達したいという話者の思いが既に織り込まれている。語り得ないという基本原理に圧倒されて沈黙するのではなく、その基本原理を引き受けた上で真っ向から刃を向けるという覚悟が、言葉を言葉たらしめている。言葉の(不)可能性と言い換えても良い。

これは、畳の上に立つ覚悟と似ている。どれだけ必死に練習を積もうが積むまいが、大会の場ではその全てを表現できるわけではない。過去の自分を、あるいは共にやってきた者の思いをたった1回の演武に集約して表現せねばならない、演武の(不)可能性とでも呼ぶべきだろう。


自分が引退する1年前の時点で既に、ここまでの話を自分の「引退の言葉」にしようと決めていた。自分が一番大事にしていた思想だったし、そのはずだったから。

でも結果的にはそうしなかった。というのは、2018年の秋(つまり引退直前)に、突然父親の余命が10ヶ月ほど縮まったからである。

繰り返し言うけれど、死んだこと自体はそこまで気になっているわけではない(この感覚についても未だうまく表現出来ないのだが、これもまた言葉の(不)可能性である)。ただ、死期の短縮に言い得ぬ衝撃を受けたこともまた事実だった。そして深く考えずとも、引退の言葉を変えねばならないことにも気付いていた。自分がそんな言葉を発したら、それこそ死者の呪いに付き纏われ続ける気がしたから。そしてそれと同じく、自分自身が後輩に呪いをかけることになるのではないかと思ったからである。「背負うことは美しいこと」というテーゼは、裏返せば、背負うことに失敗したものの価値を大幅に認めないことになってしまうからである。


2019年、結果的に自分は、死者の呪いに苛まれることになった。しかし、形は違えど、後輩たちに同じような呪いを押し付けたくはなかった。少なくとも、過去の自分の発言や行いが、既に後輩にそういう作用をもたらしはじめていることにも気付いていた。例えば、寄せ書きにありがたいメッセージを書いてきた後輩がもし去就を考えるようになった時(高確率でそうなると予想していたが)、自分で書いたことが自分を縛りつけるようなことが起こるだろうと容易に想像がついた。

そこでせめて自分から刃を向けないために、この1年はあまり近づかないようにしようと決めた。基本的に、呼ばれない限りは練習に顔を出したりはしなかった。もう少し上手に立ち回れる感度センサーがあればよかったのだけれど、そんなものがある人間に、高校の同窓会の通知が来ないわけがないのである。


2019年の最後なのに1年前の部活の話しかしていないけれど、どのみちこの年の全てを表現することは出来ない。これも言葉の(不)可能性である。

 

 

2020年はもう少し丸くなってもいいのかな、ということ、そして畳の上に戻るのも悪くないかなと思っています。どうぞよろしくお願いします。